俺は人を信じることができるのだろうか

 ある日、ふと長年の違和感の正体に気づくことがある。

 「自分は心から人を信じたことがあるのだろうか」

 はっきり言って……無い、んじゃないか。

 幼少のころから「両親は扶養義務があるから俺を育ててくれているだけで、私的な感情はあまり向けてこない」と認識しているような奴だった。

 それは今も変わらず、初めの他人である両親からそんな冷めた目線で人を認識しているもんだから、友人は「利害か趣向が一致している人であり、本人同士が心を許しているわけではない」だし、恋人は「恋人作りたい発情期に現れる人」みたいな認識で、なんつーか心がこもってない。俺の人間関係には心がこもってない。

 俺が心を許しているように振る舞う場合は、そうした方が場の空気を壊さないからであって、「あー今めっちゃ心許してるわー空気読めてるわーポイント高いわー」と、どこかで冷めた視線を送っている自分が必ずいる。

 本音では喋っているのに、本気では喋っていない。そういう状況がずっと続いている。

 そういう悩みがあるからこそ、人の絆を描いた物語にはすごく惹かれる。ああ、俺もいつかはああやって、全力で人とぶつかっていきてえなとか思っちゃう。人生で一度もできていない。

 信じる心は俺が知っているよりもずっと美しいもののはずなんだ。

 俺はもっと、素直に100%の力で人を信じたいのにそれができない。俺が邪魔してる。

2 件のコメント :

  1. わたしはふるさとにいた時は人を信じることがあんまりできませんでした。日本に来てから初めてできるようになりました。冷めた視線を送ってくる日本人にも会いましたがそれをわかっていますから

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  2. 日本人はみんな根は優しいと思っています。世界の人々は日本人のようになれば世界はもっといい世界になるかもしれません

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