2013年第47週「天涯孤独になりました」

 親兄弟、親族が居ない状態になりました。自主的に。


 孤児だったり、早くに両親が亡くなったり、ではなく。「お元気で」「わかりました」と連絡を取り合い、今後関わることをやめました。

 きっかけは餓死しようと飲まず食わずだった時期です。
 怪我をして働けなくなり、お金がなくなったので、惰性的に死のうと食事を断ちました。詳しくは過去ログを読んで頂ければ書いてあります。

 そのとき親に遺書のようなメールを送るのですが、「夜中にメールしてくるな」「なぜお前の命の心配をしなきゃならないんだ」と迷惑そうに言われ、「こんな人達のために俺は親子の関係を保とうとしてたのか」と失望した瞬間がありました。
 その前にも「いじめられるのはお前が悪い」「今まで育てた金を返すように」等々、この人達の言うことを”親”の言葉として素直に聞くべきなのか迷ったことが子供時代からありました。

 上記はあくまでこちらよりの話をまとめたもので、向こうにも言い分があると思います。

 「好きなように生きなさい」と背中を押してもらったこともあります。が、結果的に両親の行動や言動は「好きなように行きて欲しくなかった」んだと捉えてしまうようになりました。手間のかかる子供です。

 普通に成長して、普通に働いて、普通に結婚して欲しかったんだと思います。ですが、俺はそういう「普通」の人達にいじめられたり貶されたり溶け込めずに成人してしまったので、自分がそういう存在になることに激しく抵抗感があります。嫌悪し、軽蔑していると言って相違ないです。

 「独り立ちしてほしい」そう願う両親の希望と、俺の生き方は違います。
 建前では聞こえの良いことを口にしますが、目は迷惑そうに語っている。行動が伴わない。かつて、楽しそうに人をいじめていたクラスメイトと両親が同列になってしまいました。

 「親を殺すか自分が死ぬか」まで追い詰められて考えたこともありました。もっと気楽に考えられたら良かったのですが、自分の存在を否定されたような気分になったので真剣になってしまいました。

 自分がとった選択に後悔はありません。 
 育ててもらったこと、両親には感謝しています。
 肉親がいなくなってしまったことが、少し寂しく感じます。

金と時間と記憶について

 人生は短い。俺たちが一度に思い出せる「人生」の量に限りがあるからだ。

 どんなに充実した毎日を送っていても、まるで一瞬のことのようにしか感じられない。残念ながら、何十年分の記憶を一度に想起できるような複雑な感情機構を人間は持ち合わせていない。頭の中に留めておける短期記憶なんて高が知れている。思い出している間にも、俺達は忘れている。
 人生が、たった3分で終曲するロックンローラーの下品な歌と同程度の長さであることに、どこかで気づいてしまう時期がやってくる。

  そういえば最近、有名な企業の年収と内情をネットで調べていた。30にして900万もらっている銀行マンが「金が足りない」と嘆いていたり、同い年で400万の設計士の兄ちゃんが「好きにやらせてもらっているし、満足しています」と落ち着いた風なコメントを残したりしていた。

 都会に住んでいれば、年収が2、300万増えたとしても、部屋がひとつ多い賃貸に引っ越せるか、部屋がひとつ多い家を買えるかぐらいの違いしかない。サラリーマンで稼げる年収にはその程度の差しかない。

 独立した個人で考えたとき、年収はほとんど慣れのようなものだ。暮らしていけるだけの金が確保されていれば、高級酒だろうと安酒だろうと人は楽しく暮らせるようになる。俺たちには工夫する脳みそと、すぐ忘れる脳みそが備わっている。

 リセットボタンは軽い方がいい。

 他人との比較がその楽しさを阻む。価値観を確立していないといくら稼いでも「金が足りない」と言い出すことになる。自分に足りないものを金やモノで埋めているように見える。ジャッジするのは無数に存在する他人だ。そりゃいくら金があっても足りないだろう。これにはものすごく自戒が込められている。

 わけのわからん金の為にやらされて働いている時間は辛い。

 それをどうごまかしていくかを「処世術」とか「大人になる」とか呼ぶのに、個人的には抵抗がある。子供みたいに愚痴を言って我慢してるだけで、胃にアルコールを入れるようになると大人と呼ぶらしい。
 嫌なら行動すればいい。もっと足掻けばいい。チャンスに備えればいい。まだやれることはある。楽しみ方なんていくらでもある。

 どうせすぐ忘れるんだから、塞ぎこむより開き直ったほうが人生楽しい。と最近思う。